香港にかつて存在した伝説のスラム「九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)」。その名を聞くだけで、歴史マニアや旅好きは胸が高鳴り、都市伝説好きは怪しくも魅力的な物語を想起するでしょう。

「一度足を踏み入れたら二度と生きては出られない」――かつて旅行ガイドブックにもそう記されたこの九龍城は、なぜそこまで“やばい”場所と呼ばれたのか?
そして今、その跡地はどうなっているのか?

本記事では九龍城の歴史的背景から無法地帯と恐れられた理由、取り壊しの経緯と衛生問題、さらに現在の跡地の様子まで、たっぷりと解説していきます。謎と伝説に包まれた「東洋の魔窟」の真実に迫りましょう。
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九龍城の歴史的背景と成り立ち
九龍城の成り立ちを紐解くと、19世紀の列強の思惑と中国の歴史が複雑に絡み合っています。



その始まりは清朝時代。元々この地には清朝政府が1847年に築いた「九龍寨城」という砦があったにゃ。
香港島がアヘン戦争(1840年代)後にイギリス領となった際も、この砦(九龍城砦)は中国側の領地に残されたのです。



しかしその後の展開が九龍城の運命を大きく変えていきました。
「三不管地帯」誕生:イギリスも中国も手出しできず
19世紀後半、清朝はイギリスに新界を99年間租借され(1898年)、香港全域が実質イギリス統治下に入ります。しかし租借条約の取り決めで九龍城砦だけは租借地から除外され、中国官吏が駐在し続ける飛び地となりました。
ところが、その清朝官吏たちもイギリス側との小競り合いで追放されてしまいます 。
こうして九龍城砦は英国領内にありながら中英いずれの法律も及ばない「三不管地帯」(どの政府も管轄しない場所)となったのです。



なんでそんな“無法地帯”が生まれちゃったの?🤔



それが“三不管(さんふかん)地帯”ってやつだよ。英国も中国も条約上手出しできない飛び地になっちゃって、法律の空白地帯が生まれたんにゃ。つまり誰も統治できないエリアだったから、後にそこに勝手に人が集まって無法地帯化したんにゃ。
第二次大戦後の人口流入とスラム化
その後、第二次世界大戦を経て時代は1940年代後半。中国本土では国共内戦~中華人民共和国成立(1949年)と激動期で、行き場を失った多くの人々が香港へ、そして統治の届かない九龍城砦へと流入しました。
こうしてわずか0.026~0.03平方キロ(東京ドームの約半分)ほどの敷地に、勝手に増築された雑居ビル群が林立し始めたのです。
1950~60年代には不法建築が雨後の筍のように増殖し、ついには300棟以上の建物が壁を接して連なる巨大スラムが完成しました。





建物がギュウギュウに詰まった写真を見ると、本当に迷路みたい…。なんであんな増築だらけになったの?



法律が及ばないから、建築基準法も無視で好き放題に増築できたんにゃ。役所の許可もいらないから、3階建ての上にさらに増築、その上にまた増築…と継ぎ足しで成長したにゃ。
高さも空港に支障が出ないギリギリまでで、14階前後のビルがびっしりだったんにゃ。
こうした背景から、九龍城砦(Walled City)は「どの国の政府も介入できない無法地帯」として悪名を轟かせることになりました。
香港が英国統治下にあった1990年代まで、その状態は基本的に続いたのです。
「九龍城砦」という無法地帯と都市伝説的な描写
統治の空白が生んだ九龍城砦は、次第に麻薬や賭博、売春などありとあらゆる犯罪の温床となっていきました。
その混沌ぶりから日本では「東洋の魔窟」とも呼ばれ、1970~80年代のガイドブックには「一度入ったら生きて出られない」「香港の悪の巣窟」といった物騒なフレーズが踊ったほどです。
では、なぜ九龍城はそこまで“やばい”場所と恐れられたのでしょうか。その具体的な理由やエピソードに迫ります。
無法地帯の実態:犯罪と混沌の巣窟
九龍城砦が最も混沌を極めたのは1950~60年代。麻薬取引、賭博場、売春宿、そして殺人事件すら日常茶飯事という、まさに無法地帯の極致でした。



地獄で草
香港警察も長らく手出しできず、「中に逃げ込まれたら警察は何もできない」とまで言われたほどです(実際に警察がパトロールを始めたのは1970年代に入ってからでした。



その間、14Kや新義安といった香港の黒社会(ギャング団)が支配権をめぐって抗争を繰り広げ、アヘン窟やヘロインの密売が横行したにゃ。暗がりでは拳銃や刃物を使った抗争で血を見る事件も起き、人々は恐れおののいたというにゃ。
さらに無免許の医者・歯科医がひしめき(正規の医療を受けられない貧民が頼った)、「衛生当局ガン無視」の食品工場が密集するなど、他では考えられない環境でした。
実際、路地裏の食品工場ではゴキブリやネズミがそこら中を走り回る不衛生さだったとの記録もあります。



ひえぇ
こうした事実から、「九龍城=ヤバい場所」という評判が定着していったのです。
「一度入ったら戻れない?」ガイドブックが煽った恐怖
日本人に九龍城砦の存在が知られるようになると、その異様さから様々な都市伝説的描写が語られました。
特に有名なのが「一度中に入ったら二度と出られない」というものです。
迷路のような構造に加え、凶悪な犯罪者がうごめく危険地帯というイメージが独り歩きし、当時の旅行ガイドにも「近づくべきでない」と警告が載ったほどでした。



本当に入ったら出られなかった人とかいるの?



さすがに都市伝説だにゃ。ただ、警察すら敬遠する無法地帯だったのは事実で、迂闊に入り込めばトラブルに巻き込まれる危険は高かったと思うにゃ。
だから『生きて出られない』なんて物騒な言い方までされたんだ。
例えば、九龍城砦内部でギャング同士の抗争に巻き込まれて消息不明になった人の噂や、殺された犠牲者の遺体が路地に放置されていたというような恐ろしい話も伝わっています(実際、発見された遺体の回収は香港市政当局が密かに行っていたとの証言もあります)。
さらに、少女が人身売買され監禁されていたとか、臓器売買の闇医者がいたなど、真偽不明ながら不気味な噂も後を絶ちませんでした。
もっとも、こうした「魔窟」「カスバ」的な恐怖のイメージは半分はメディアや噂が誇張したものでもあります。実際には1980年代以降になると香港返還が近づいた影響で警察の立ち入りも増え、治安は次第に改善していきます。



とはいえ、九龍城砦が人々の記憶に“香港の暗黒街伝説”として強烈に残ったのも確かでしょう。
九龍城に住んでいた人々の暮らしぶり
無法地帯として語られる九龍城砦ですが、一方でそこには最大で5万人とも言われる一般市民が生活を営んでいます。
畳一枚ほどのスペースに一家が暮らすような世界最大級の超高密度スラムで、人々はどのように暮らしていたのでしょうか。
治安の悪さばかりが強調されがちな九龍城ですが、内部では住人たちが助け合いながら逞しく生活していた一面もありました。そのリアルな暮らしぶりを見てみましょう。
驚異の人口密度:雑居ビルに5万人がひしめく生活
九龍城砦の面積は約2.7ヘクタール(0.027㎢)とごくわずかでしたが、そこに最盛期には4~5万人もの人々が所狭しと暮らしています。
人口密度にすると約190万人/km²にも達し(東京都の平均密度の約100倍!)、これは当時世界一とも言われたほど。



実際、畳1枚程度のスペースに3人が住む計算になるとも指摘されているにゃ。
建物同士は壁を共有し、一部は通路すら繋がって巨大な一つの建物のようになっています。
日の当たらない薄暗い路地には絶えず水滴が垂れ、じめじめと湿気がこもっていたといいます。



上水道や下水処理も公的には整備されておらず、住民たちは自分たちで水道を引き電気を配線していました。下水は道端の溝に垂れ流し同然だったため、井戸水が汚染されて衛生問題も深刻だったようです。
またゴミ収集も公式には行われず、各階のゴミは下の階へと掃き落とすのが習慣です。



結果、一階では大量のゴミと格闘する羽目になりますが、ゴキブリやネズミが多い1階ほど家賃が安く設定されていたので文句は出なかったとか…なんともたくましいエピソードにゃ。
こうした劣悪な環境にも関わらず、人々は「安い家賃」と「自由な暮らし」を求めてこの九龍城に集まり、したたかに生活していたのです。
自警団とコミュニティ:無政府状態を補った秩序
無法地帯とはいえ、九龍城砦の内部ですべてが無秩序だったわけではありません。
警察の代わりに住民たち自身が自警団を組織し、内部の治安維持に努める一面もあります。



外部の者が勝手に騒ぎを起こしたり、共同体の「和」を乱す行為には、住人同士で注意し合う風土があったと言われています。
事実、法が無いからこそ内部ではかえって協調して暮らす方が得策だという考えもあったようです。



また、驚くことに幼稚園や小学校、老人ホームまで存在しているにゃ
無許可ではあるものの、子供たちのための教育や高齢者の世話をする施設が設けられ、光の差し込む中庭スペースで子供やお年寄りが過ごせるよう工夫されてもいたのです。
宗教団体(救世軍)による幼稚園が運営されたり、麻薬中毒者のためのセラピー集会が開かれたりと、コミュニティとしての機能も持ち合わせています。



どんな場所でも必要なものは勝手に揃う、これが人智ってやつですね
仕事面でも様々な人々が暮らしていたため、城内には無数の商店や工房がひしめいていました。
中でも特徴的だったのが無免許の歯医者(牙科)です。
香港の他地域では資格が必要な歯科医療も、ここでは無資格で開業できるため多くの歯科医院が存在し、安価な治療を提供しています。



他にも製麺所、アクセサリー工場、プラスチック加工場など小さな工場が林立し、城砦全体がひとつの大きな工業都市のように機能していたのにゃ。



無法地帯でも、人々はちゃんと暮らしてたんだね…。学校やお年寄りホームまであるなんて意外。



そう、混沌の中にもしたたかな生活があったんだにゃ。逆に言えば、それだけ追い詰められた人たちが多かったとも言えるにゃ。貧困や戦乱から逃れ、“訳あり”で九龍城にたどり着いた人が多かったかにゃ。
実際、九龍城の住民の多くは中国本土からの不法移民や難民、行き場のない貧困層です。
彼らにとって九龍城砦は、他に代え難い「安住の地」でもあったのです。狭く不衛生な環境でも家族や仲間と肩寄せ合い、外の社会から隔絶された城壁の中で独自のコミュニティを築いていた──九龍城砦にはそんなもう一つの顔が存在していました。
筆者もブラジルのスラム街など訪れたことがありますが、子供たちの笑顔は眩しかったです。安住の地とはよく言ったものですが、「コミュニティ」が持つ力をまざまざと見せつけられました。
九龍城で語り継がれる怖い話・事件
伝説的な無法地帯であった九龍城砦には、数々の怖い話や事件のエピソードが残されています。
その多くは噂話の域を出ませんが、都市伝説として今なお語り継がれているものもあります。いくつか代表的な「九龍城の怖い話」「事件」を紹介しましょう。
- 犯罪組織の抗争と闇処刑: 前述のように、かつて九龍城砦では巨大ギャング同士の抗争が激化しました。勝者が敗者を闇に葬る(密かに殺害する)こともあったと言われ、警察が立ち入れないのを良いことに城内で処刑された者の遺体がドブに捨てられていたとの噂もあります。実際、1960年代には城内の路地で死体が見つかっても事件化されないことが度々あったようです(遺体の収容は行政当局がひそかに処分していたようです(参考:香港九龍塞城の不管地空間 – CORE)。
- 暗闇の歯科医院事件: 九龍城名物でもあった違法歯科医ですが、中には倫理を欠いた者もいたようです。ある無免許歯医者が患者に麻酔をかけたまま内臓を売買業者に提供していたとか、治療ミスで死なせてしまった患者を密かに処分した、といったゾッとするような噂もささやかれました。真偽は不明ですが、暗い路地裏の歯科医院というシチュエーションだけでホラーさながらです。
- 少女失踪の怪談: 九龍城では子供や女性が忽然と姿を消す事件も起きたとされます。特に有名なのが「迷い込んだ少女が二度と戻ってこなかった」という怪談です。誘拐され売春宿に監禁されたとも、臓器ブローカーにさらわれたとも言われますが、いずれにせよ城砦の闇に消えた人々がいたという話は後を絶ちませんでした。
- 火災と幽霊ビル: 密集した違法建築の弊害として火災もたびたび発生しています。路地が入り組んで消防車も入れず、延焼を止められないこともありました。ある大火事の後、その焼け跡のビルでは夜な夜な焼死者の幽霊がさまようという噂が立ち、住民たちが近寄らなくなった──なんて怪奇譚もあります。
このように九龍城砦は都市伝説の宝庫でもありました。
もっとも、実際に暮らしていた人々の証言によれば「そこまで危険な目に遭ったことはない」という声も少なくありません。



治安が極端に悪かったのは1950~60年代までで、1980年代にはむしろ「中はアットホームで居心地が良かった」という元住民もいるほどにゃ。
とはいえ、一歩間違えば何が起きてもおかしくない環境であったのは事実でしょう。九龍城砦が持つダークな魅力は、こうした真実と虚実が入り混じったエピソードによって一層神秘性を増しているのです。
九龍城砦の取り壊し:いつ、なぜ行われたのか
そんな九龍城砦も、永遠に存在したわけではありません。取り壊しが決定したのは1987年、そして1993年から撤去工事が始まり1994年には完全に姿を消しました。
香港が中国に返還される1997年を目前に控え、英中両政府がついに重い腰を上げたのです。
この章では、九龍城砦が取り壊された経緯とその背景、そして取り壊し時に起きたエピソード(ネズミ大量発生!?)について解説します。
取り壊しに至る背景:香港返還と無法地帯の終焉
英国統治時代、九龍城砦は長らく存在自体がタブー視され、香港政庁も何度か撤去を計画しては中国側の反発や住民の抵抗で断念してきます。
しかし1984年の中英共同声明で香港返還が確定すると状況が変わります。



1987年1月、中英両国は九龍城砦を取り壊し住民を退去させることで合意します。香港返還前にこの“不名誉な無法地帯”を解消しておこうという思惑があったのです。
合意後、香港政府は立ち退き交渉と補償を進め、約3万3千人の住民に代替住宅や補償金を提供します。
多くの住民は渋々これに応じましたが、やはり最後まで立ち退きを拒否した人々も存在します。



彼らは「提示された補償金では同等の住まいは得られない」と抗議し、“籠城”を続けたにゃ。
最終的には1992年7月、機動隊による強制排除で全住民が退去させられ、九龍城砦はゴーストタウンとなりました。こうして140年近い歴史に幕を下ろすことになりました。
衛生問題と取り壊し工法:ネズミ大量発生の懸念も
取り壊しの直接の理由は上記の通り政治的決断でしたが、その背景には深刻化する衛生問題もありました。
無政府状態ゆえに衛生環境は劣悪で、周辺住民からも苦情が相次いでいたのです。



とりわけ問題視されたのがネズミやゴキブリの大量発生にゃ。九龍城砦内にはびこる害虫・害獣は香港全体の衛生リスクでもあり、このまま放置できないという声も高まっていたのにゃ。



オワタ
そこで取り壊し工事では、爆破による一斉解体は避けられました。
というのも、爆薬で一気にビル群を倒壊させると、巣食っていた無数のネズミやゴキブリが周囲の住宅地になだれ込む恐れがあったからです。
実際、当初はダイナマイトを仕掛けて爆破解体する案も検討されたものの、そのリスクが指摘され断念されたと言われます。代わりに、工事用の鉄球で少しずつ建物を破壊していく慎重な方法がとられました。
事前に徹底的な害虫駆除も行われ、近隣への影響を最小限に抑えつつ1993年から94年にかけて解体が進められたのです。



爆破解体しなかったのは、そんな理由が…😨 ネズミの大群とか想像しただけでゾッとする。



うん、解体でネズミが大発生なんて事態になったら大問題だからにゃ。結局は慎重に少しずつ壊していったわけだ。結果的に1994年までに更地にできたにゃ。
取り壊し作業中には、歴史的に貴重なものも見つかりました。城砦の南門近くの地中から「九龍城寨」と刻まれた石板(門額)が発見されたのです。



これにより正式名称が「九龍城寨」であることが再確認され、その石板は保存されることになったにゃ。こうした発見もありつつ、約1年半に及ぶ工事の末、伝説の九龍城砦はその姿を消したにゃ。
九龍城跡地の現在:公園となった元「魔窟」を訪ねて
では、取り壊された後の九龍城跡地は現在どうなっているのか? かつて魔窟と呼ばれた場所は一転して安全な観光スポットとなっているのでしょうか。
結論から言えば、九龍城砦の跡地は現在「九龍寨城公園」(Kowloon Walled City Park)という美しい公園になっています。
1995年に開園したこの公園は、かつての面影を感じられる展示や遺構もあり、香港市民や観光客の憩いの場となっています。最後に、この九龍城跡地の現在の様子と観光要素、訪問方法についてご紹介しましょう。


九龍寨城公園に残る遺構と展示
九龍寨城公園は、広さ31,000㎡ほどの敷地に中国伝統様式の庭園を配した落ち着いた公園。
園内にはかつての城門や城壁の一部が遺構として保存されています。例えば南門(メインゲート)の跡は石垣や門柱が復元され、法定古跡として記念碑が設置されています。
そこには「南門」の二字が刻まれ、往時を偲ばせます。
また、取り壊し時に発見された「九龍城寨」石板も園内で展示されています。
これは清朝時代の城門に掲げられていたもので、公園の展示館に保管・公開されています。この石板を実際に見ることで、伝説の城砦が確かにここに存在した証を感じることができるでしょう。
さらに、公園内には九龍城砦の歴史を紹介する展示館(九龍寨城公園展覧館)も設けられています。



館内には九龍城砦の巨大な模型や、当時の写真・資料が展示され、あの密集スラムがどのような構造だったかを視覚的に学べるにゃ。模型を見ると、いかに建物がぎっしり詰まっていたか一目瞭然で、訪れた人は皆「こんな街が本当に存在していたのか」と驚嘆するにゃ。
園内には他にも、当時の清朝の役所だった建物(衙門=やもん)が復元保存され、日本庭園にも似た静謐な池泉庭園や四季折々の草花が楽しめる散策路があります。
かつての狂気じみたスラムの姿はなく、今や鳥のさえずりが聞こえる平和な空間となっています。「魔窟」と呼ばれた場所がこれほどまで美しい公園に生まれ変わったことに、感慨を覚えずにはいられません。
九龍城跡地を訪れる方法と現地情報
九龍城寨城公園へのアクセスは比較的簡単です。MTR(香港の地下鉄)屯馬線の宋皇臺(Sung Wong Toi)駅で下車し、B2出口から徒歩5分ほどで公園の入口に到着。
入口には大きな案内板と門柱があり、すぐにそれと分かるでしょう。入園料は無料で、開園時間は早朝から夜まで(※深夜は閉門)となっています。



公園内はよく整備されており、ベンチに座ってノスタルジックな雰囲気を味わったり、展示館で冷房に当たりながら歴史解説に読みふけることもできます。展示館では英語・中国語表記の解説が中心ですが、日本語パンフレットが置いてある場合もあります。訪問の際はぜひ南門跡や石板の展示もお見逃しなく。
なお、公園周辺の九龍城地区自体もグルメスポットとして有名です。九龍城は昔から各国の移民が集まった土地柄、庶民的な香港ローカルフードや中華菓子、東南アジア料理の名店が点在しています。公園見学のついでに周囲を散策し、ローカル食堂で牛バラ麺やエッグタルトを頬張るのも旅の楽しみとなるでしょう。



公園はすっかり安全そうだし、展示も充実してるんだね!ぜひ行ってみたいなぁ。



うん、九龍城砦のかつての狂気と現在の平和を感じられる貴重なスポットにゃ。香港旅行の際はちょっと足を伸ばしてみる価値ありだにゃ。
おわりに:伝説を今に伝える九龍城砦の魅力
九龍城砦は歴史の偶然が生んだ無法地帯であり、同時に人間の逞しさと社会の闇が凝縮した場所でもありました。取り壊されて四半世紀以上経った今でも、その名前が語り継がれるのは、単に怖い都市伝説だからというだけではないでしょう。
狭い空間に押し込められた人々のドラマや、カオスの中に芽生えた秩序、そして消えゆく瞬間まで“生きていた”街としてのエネルギーが、我々の想像力を刺激し続けているのです。
現在の九龍城跡地は緑豊かな公園となり、往時の狂乱を思い起こさせるものは僅かしか残っていません。しかし、九龍城砦の物語は様々な書籍や映像、そして人々の記憶の中に今なお息づいています。
歴史マニアにとっては清朝と英国のせめぎ合いが生んだ政治的興味、旅行好きにとっては香港の意外な一面を知る学びの場、都市伝説好きにとっては想像をかき立てる格好の題材──見る人によって様々な魅力を放つのが九龍城砦という存在でしょう。
もしあなたが香港を訪れる機会があれば、ぜひ九龍寨城公園を歩いてみてください。静かな遊歩道を歩きながら、かつてここに聳え立っていた巨大スラムに思いを馳せてみるのも一興です。伝説の九龍城砦は消えても、その**「やばい」歴史と現在**を知ることで、きっと旅の楽しみが一つ増えることでしょう。
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